日々の出来事を写真で紹介します。
こんにちは!!で茣蓙居ます。あたしが若松市に居った時は渡船場附近や若松驛は綺麗じゃぁ無かったですねぇ。若松驛の洞海湾寄りには石炭が仰山置かれてました。そうして洞海湾には石炭を積み出す木造の船が何艘も浮かんでましたですねぇ。自力で運行出来ず引率する船が数隻の船を引っ張ってました。そうして木造の船には水上生活者が住んでました。船に石炭を積む人たちを『ごんぞう』と云い火野 葦平さん描くところの『花と竜』の世界でした。まだ若戸大橋も存在して居りませんでした。昭和32年に若松を離れましたんでね。
こんにちは。使いづらいコメント欄への書き込み、どうも有り難うございます。置手紙の方も拝見しています。ようやく若松の記事がアップ出来ました。若松もしばらく来なかったのですが少し様変わりしていますね。(いい意味でです)船で渡って来たのは短大の時以来で2度目です。昭和32年頃の若松の姿は目に焼き付いているんですね。この写真からは想像もできませんね。
こんにちは!!で茣蓙居ます。
返信削除あたしが若松市に居った時は渡船場附近や若松驛は綺麗じゃぁ
無かったですねぇ。
若松驛の洞海湾寄りには石炭が仰山置かれてました。
そうして洞海湾には石炭を積み出す木造の船が何艘も浮かんで
ましたですねぇ。
自力で運行出来ず引率する船が数隻の船を引っ張ってました。
そうして木造の船には水上生活者が住んでました。
船に石炭を積む人たちを『ごんぞう』と云い火野 葦平さん描くとこ
ろの『花と竜』の世界でした。
まだ若戸大橋も存在して居りませんでした。
昭和32年に若松を離れましたんでね。
こんにちは。
削除使いづらいコメント欄への書き込み、どうも有り難うございます。
置手紙の方も拝見しています。
ようやく若松の記事がアップ出来ました。若松もしばらく
来なかったのですが少し様変わりしていますね。(いい意味で
です)船で渡って来たのは短大の時以来で2度目です。
昭和32年頃の若松の姿は目に焼き付いているんですね。
この写真からは想像もできませんね。